老後3千万円あっても破綻…長生きで「お金が足りない」のなぜ
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「平均的な家計だとお金は全然足りませんよ」
こう話すのは、ファイナンシャルプランナー(FP)の井戸美枝さんだ。人生100年時代に合わせて、平凡な60代夫婦の家計の将来をシミュレーションしたところ、衝撃的な結果が出たというのだ。
「何と、妻が90歳のときに金融資産がゼロになってしまうんです」
想定したのは、定年後、継続雇用で働く会社員の夫(63)と3歳年下の妻(60)。夫はすでに「報酬比例部分」の年金130万円を受け取っており、会社の給料と合わせると手取りで年間334万円の収入がある。妻はパートで100万円稼ぐ。ともにあと2年でリタイアする予定だ。
妻の「報酬比例部分」の年金が始まったり、夫が65歳になると老齢基礎年金が支給開始になったりして、しばらくは収入にぶれがあるが、妻が65歳になると夫婦の年金収入は289万円(月約24万円)でほぼ一定になる。
生活費は働いている間は348万円(同29万円)、リタイア後は1割弱減らして318万円(同26.5万円)とする。持ち家で住宅ローンは返済ずみという設定だ。
「リタイア後の生活費は、総務省の家計調査の『高齢夫婦無職世帯』にほぼ合わせました。63歳時点での貯蓄は1500万円。これは全国消費実態調査を参考にしています」(井戸さん)
確かに、どこにでもありそうな60代の家庭である。それが30年余で破綻してしまうのだ。
この家計の年間収支と、それによる貯蓄残高の動きはこうだ。
最初は会社の給料があるため黒字だが、働かなくなると貯蓄残高は減る一方になる。特に、夫が会社を辞めてからの3年間は年間71万円の大赤字だ。年金収入が一定になると赤字は29万円に減るが、貯蓄はどんどん減っていく。夫が90歳で死亡すると、年金収入が減るため再び赤字が拡大。3年後、とうとう貯蓄が底をついてしまう……。
「恐ろしいのは、夫が70歳のときに200万円かけて住宅をリフォームする以外は、お金がかかるイベント費用を見込んでいない点です。旅行もしない、自動車もない、大きな病気もしない……それなのに、こんな結果になってしまうんです」(同)
人生に潤いを求めたり、病気で入院したりすると、破綻時期はさらに早まる。いずれにせよ、これまで「85歳まで」などとしてきたプランを少し延ばすと、「アウト」になってしまうのだ。
人生100年時代をはやらせたベストセラー、『ライフ・シフト』から2年余。その言葉は今や高齢社会そのもののキャッチフレーズになったが、ここに来て、その「100年」を実際のライフプランやマネープランに落とし込む動きが出てきている。
目立つのは、「厳しい現実」を示すものばかりだ。
お金の専門家集団、日本FP協会が発行する、老後準備のための一般向け小冊子「60代から始めるマネー&ライフプラン」と「今からはじめるリタイアメントプランニング」。この二つに4月の改訂版から新たな「折り込み付録」がついた。
内容は、冒頭の井戸さんが行ったシミュレーションと同様のものだ。細かい設定は省くが、ともに65歳でリタイアする会社員を想定して家計の長期予想を行っている。結果は、2500万円、3千万円の貯蓄があっても破綻してしまうというシビアなもの。もちろん家計の長期予想表つきだ。
「今からはじめる~」には、こうある。
「旧世代の典型的なライフプランで考えると、今の50代がセカンドライフを乗り切ることは難しくなることが予想されます」
実は井戸さんのシミュレーションも、同協会の会報「Journal of Financial Planning」4月号の特集記事向けに行われたものだ。特集の内容は後述するが、同協会の伊藤宏一専務理事はこう言う。
「スローガン的に『人生100年時代』を唱えるだけでなく、個人それぞれが具体的にシミュレーションして現実をリアルに実感し、その上でどうするかを考えてほしいのです。今までどおりでは、お金は足りなくなってしまいますから」
FPが行う家計予想は「積み上げ型」といわれるものだ。使い道別に金額を予想して月額の生活費を決め、それと現在の貯蓄額から長期の推移を見ていく。積み上げ型では100年時代を乗り切るのは難しそうだが、実は老後資金には、もう一つ計算方法がある。
フィデリティ・インターナショナルが世界的に使っている「退職準備の指標」がそれだ。人間はできあがった生活スタイルを変えることは難しいから、「退職後の生活は現役時代最後の生活水準に規定される」として老後資金を考えていく。こちらは必要になる金額が「総額」でわかる。これだとどうなるのか。
3つの計算式を見てほしい。一番下は現役時代の資産形成のための式なので、二つが重要になる(下記参照)。
「個人資産代替率」とは、退職後の生活費のうち自分で用意しなければならない金額(生活費-年金)の対年収比率のこと。ご覧のように、最終年収に個人資産代替率をかけて個人資産からの引き出し額を求める。それに退職後の生活年数をかければ必要な老後資金が出てくる。退職後の生活年数は自分で決める必要があるが、それ以外は裁量の余地が少ない客観的な数字だ。
フィデリティ退職・投資教育研究所の野尻哲史所長が言う。
「全国消費実態調査をもとにすると、退職直前年収の『72%』程度が退職後の生活費になり、個人資産代替率は『39%』が幅広い年収帯にあてはまることがわかりました。それで計算すると、67歳で退職して93歳まで生きる場合、年収7年分(別に退職金として2年分)が必要であることがわかりました」
もっともこれは年金収入を厳しめに見積もり、運用も保守的にするなどしており、「若年世代向けの指標」(野尻所長)とのことだ。このため、本誌読者向けに現在の退職世代に応用すればどうなるかを試算してもらった。
最終年収は「650万円」、生活費はその約7割の「450万円」を使う家計を想定した。現状の水準で年金と資産取り崩しの比率は6対4くらいなので、年金収入は270万円、毎年の個人資産からの引き出し額は「180万円」とした(個人資産代替率は約28%)。期間は60歳から95歳までの35年間にした。
「個人資産からの引き出し額が180万円、退職後の生活年数が35年だから一番上の式から『自助努力で用意する退職後の資産』は6300万円になります。運用しないとすると、この金額を60歳時点で用意する必要があります。年収倍率でいうと9.6倍です」
退職金で年収2年分を確保できるのなら、年収倍率は7.6倍に下がる。
「運用する場合は複雑ですが、私がいつもやる方式で考えてみましょう。すなわち最初の15年間を3%で運用しながら4%分を引き出して過ごし、その後の20年間は運用せずに定額を引き出していくやり方です。これだと約4400万円が60歳時点で必要になります。年収倍率は6.7倍です」
金額といい年収倍率といい、かなりの高額ではないか。フィデリティ方式は現役時代最後の生活水準が基本なので、かなり余裕をもった試算といえるが、それを割り引いても高いハードルに見えてしまう。
積み上げ型だと「破綻」が見え、必要総額では「見上げる壁」が出現する──どうやら、100年時代のお金は足りないケースが大量発生する可能性がある。
何だか頭がクラクラしてきたが、これで終わらないのがこれからの日本の高齢社会だ。ここまでの試算(フィデリティの若年世代向けを除く)は、現在の制度がそのまま将来も続くことを前提にしているからだ。
社会保障の負担や給付、税の仕組みなどは、高齢者にどんどん厳しくなっている。この傾向は今後も変わるまい。
例えば、高齢者の収入を支える公的年金では、年金の実質価値を下げる支給抑制策が進行中だ。「マクロ経済スライド」といわれるもので、本来なら年金は現役世代の賃金や物価に合わせて伸びるが、その伸びを年金だけ小さくする。
高齢者にとっては痛いが、ニッセイ基礎研究所の中嶋邦夫主任研究員によると、
「年金をもらっている人に薄く広く負担してもらうもので、不公平が発生しにくい。年金財政の改善策としては保険料の引き上げもあり得ますが、これだと受給者は関係なくなってしまいます。『勝ち逃げは許さない』という意味でも、私はいい制度だと思います」
マクロ経済スライドは国民年金(老齢基礎年金)を中心に、あと20年以上続くとされる。どれぐらいの抑制を覚悟しておくべきか。
「あくまで一つの目安ですが」とした上で、中嶋主任研究員が示す。
「ねんきんネット」などで自分の年金見込み額を試算する必要があるが、それがわかれば65歳になってもらい始める年金額(老齢基礎年金・老齢厚生年金)を今のお金の価値で実感することができる。
5年前に国が試算したうち、経済が順調に成長するケースと、一番悪い低成長の両方の数字をもとに表は作られている(下記表参照)。楽観・悲観の両ケースで計算できるから、実際の年金額もその範囲内におさまりそうと予想できる。また楽観シナリオでも、老齢基礎年金の目減りがきついことは押さえておきたい。(本誌・首藤由之)
【フィデリティ退職・投資教育研究所の「退職準備の指標」の計算式】
個人資産からの引き出し額×退職後生活年数=自助努力で用意する退職後の資産
最終年収×個人資産代替率=個人資産からの引き出し額
年収×資産形成比率=資産形成額
【経済低成長悲観シナリオ】
現在の年齢/65歳になるのは?/基礎年金/厚生年金/
60歳 2024年 95 95
50歳 2034年 85 85
40歳 2044年 75 75
30歳 2054年 65 65
【経済安定楽観シナリオ】
現在の年齢/65歳になるのは?/基礎年金/厚生年金/
60歳 2024年 95 100
50歳 2034年 85 100
40歳 2044年 75 100
30歳 2054年 75 100
(ニッセイ基礎研の中嶋邦夫主任研究員作成)
※週刊朝日 2019年6月7日号