何度となく自身の失敗の際の一番の原因が『筋違い』という事が多々ございまして、私の中での筋とは『お客様に対する筋』であって、一般常識の筋とはまた異なった性質を持っているものだと考えます。

一般的には、例えば・・・ コンビニエンスストアーで商品を購入しました→商品に不具合があった→だれが責任を負う?

当然、不具合の内容(商品自体の品質などに関する不具合・消費期限の不具合・パッケージ劣化による不具合など)によって異なることだと思いますが、商品を扱っているコンビニエンスストアーに一旦苦情を持ち込む人と、直接メーカーに持ち込む人と、色々だと思います。

直接メーカーに持ち込んだ場合でも『どこの店舗で購入されましたか?』というところから始まると思いますので、結果的には取扱店舗への確認は必ず入ると思います。そこの流れの中で、商品自体の瑕疵については原因がある程度推測されますが、その商品の担当者や製造工場の工場長、ましては商品のパッケージの担当者などなど、いろんな人間が関わってくるので、最終的にはメーカーの代表者が責任を取ってという形が最終段階だと思われます。ただ、そこに行きつくまでの過程で、そもそも責任者とは誰なの?・・・ またまた話は変わりますが、飲食店で良く聞かれる『責任者を出せ!』・・・ 私は言ったことございませんが、よくドラマなどで聞き覚えのあるフレーズとして認識されている方が大半だと思いますが、その際の責任者についても、雇われている店長?店の経営者?従業員の中のリーダー? 私にとっての責任者は『相手に対して実直に対応している直接の窓口』だと思っております。イコール、私は常にお客様に対して、直接お会いする営業という立場で仕事をして参りましたので、仮に失敗が私の責任に無く、上席にあったとしても、私に責任が無いということは『その人に拘わって無い』という事で、絶対にありえない話の立場が営業でございます。お客様も営業マンと仲良くさせていただいているケースは、私以外の誰かに責任が及ぶように考えされるのですが、当の本人は責任を感じて筋を通そうとすること、すなわち処理解決を率先して行おうとすることでのズレが生じるということなのです。お客様は『君にも落ち度があるかもしれないが、そもそもの責任は会社にあるだろ』とご意見を頂戴したとしても、責任感の強弱にもよりますが、やはり担当者である私に責任があると考える方が自然体だと、どうしても考えてしまうのが、良い事なのか?悪い事なのか? サラリーマンで有る以上、会社に守られる事は保証されるべきことだと思いますが、逆に、当のサラリーマンである人が、会社を守る責任は無いのか? 会社を守るという事は、結局、お客様も利益損失させないという意味では、お互い様の感覚で仕事に取り組まないといけない様な気が致します。

お客様に執着することが本当に良い事なのか?という事にも疑問を呈する時代がきている事も事実ですし、筋を重んじることの重要さにも論点はあると考えます。

筋を通す難しさ、筋の意味を共有できる方法、模索しても解決できないもののジレンマ

とにかく何が正しいと思いこめる自信が必要な世の中かもしれません。協調性が協調性でない時代の到来を、私は恐怖と感じております。

他人の責任にするのは簡単、ただ、他人の責任にしている事を正義とおもって信じてやまない人たちが沢山いることも真実です。

自分は悪くないと思える自信はどこから来るのでしょうか? 永遠のテーマです。私には理解できません。ですので、私が他人の責任にした際は、きっと後悔しているのだと思います。そうあるべきですし、それが筋を通すの本当の意味だと、私は思います。

誰に対して? どのことに対して? 違いはあれども、その人に対して私が筋違いだと感じても、押し通さないといけない自分。

押し通すことで、その人との縁が切れたとしても、きっと通さないといけない事が、これから山ほど出てくるのではないか? そのことを怖がっていては何も出来ない事も、全て理解して進んでいける自分づくりも継続していきたいと思います。

動き出さなければ何も始まらない・・・ 悪いことが続くときは『いつか終わる』と信じ

ご縁もいつか終わる時が来る、その事もしっかり理解して、無理に追わないように出来る強さも兼ね揃えないといけない世知辛い世の中のお話でした。