「2018年に生誕100年を迎えた田中角栄」

1918年5月4日生まれの田中角栄 ©文藝春秋

大蔵官僚を前に「すべての責任はこの田中角栄が負う」

まず、田中さんの人心掌握術がいかに優れていたかを示すエピソードをひとつ。1962年、第2次池田内閣の大蔵大臣に就任して居並ぶ大蔵官僚を前にあいさつをした、そのあいさつ文が記録に残っています。

「私が田中角栄であります。皆さんもご存じの通り、高等小学校卒業であります。皆さんは全国から集まった天下の秀才で、金融、財政の専門家ばかりだ。かく申す小生は素人ではありますが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきており、いささか仕事のコツは知っているつもりであります。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになりますが、お互いが信頼し合うことが大切だと思います。従って、今日ただ今から、大臣室の扉はいつでも開けておく。我と思わん者は、今年入省した若手諸君も遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を取る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!」

これを聞いた大蔵官僚たちは、一発で参ってしまいました。君たちは自由にやれ、責任は私が取る、と言われて心酔しない部下はいないでしょう。さあ、今の政治家に、こう言い切れる人はいるのだろうかと、つい考えてしまいます。

首相になるまで郵政大臣、大蔵大臣、通産大臣を歴任した ©文藝春秋

1965年、前年からの証券不況の中で山一證券が経営不振に陥りました。その救済のために日銀特融、日銀による特別融資が行われました。それを断行したのが大蔵大臣の田中さんでした。官僚であれば、過去に例のないことはやりたがらないものです。それを田中大臣は「いいからやれ。責任は俺が取る」と言って救済させました。先の就任あいさつはハッタリでも何でもなかったことになります。

田中角栄は「コンピューター付きブルドーザー」の異名で、数字の暗記力や強引なまでの実行力が称えられました。総理大臣に就任したのは1972年の7月。当時54歳で、のちに安倍総理が誕生するまでは最年少の総理大臣でした。

総裁選の開票結果を知って椅子から跳び上がった

このときの自民党の総裁選がすごかった。1回目の投票で田中角栄156票、福田赳夫150票、大平正芳101票、三木武夫69票。田中さんと2位の福田さんとの票差はたったの6票。この開票結果を知った田中さんは椅子からポンと跳び上がって驚いたとか。「〈あれほど大勢に金を配ったのに〉こんなに少ないはずはない」というわけです。

田中さんと福田さんは共に佐藤内閣を支えてきた両輪です。佐藤栄作はいずれ福田を後継に、と考えていたふしがあるのですが、政権の末期にもなると田中がメキメキと力をつけていましたから、後継を指名することもできません。田中は佐藤派の3分の2を率いて分離独立します。そして総裁選に突入。それは、ともに負けられない2人が争う、まさに「角福戦争」の様相を呈しました。

自宅庭での角栄 ©文藝春秋

結局、1位と2位の決選投票では田中が勝ち、総裁に選ばれます。最終盤になって中曾根康弘が出馬を取りやめて田中支持を表明。このとき中曾根は田中に7億円で票を売ったとの噂が流れて、中曾根さんが週刊誌の追及に弁明する一幕もありました。

当時の自民党の総裁選は、今では考えられないほど札束が乱れ飛びました。総裁候補を抱える派閥のうち2つの派閥からお金をもらうのをニッカ、3つからもらうとサントリーと称し、「あいつはサントリーだ」なんて言い方で揶揄されたものです。各人1票しかもっていないので、複数の派閥から金を受け取ったら、当然どこかを裏切ることになる。田中さんが何人もの裏切りを知って椅子から跳び上がったのも、そういう背景があったからです。

角栄流「生きた金の使い方」

ただ、田中さんの凄いところは、1回目の投票で盟友の大平さんに票を回していたこと。盟友とはいえ、総裁選に出るくらいだからライバルでもあるのに、盟友が恥をかかないよう、本来なら自分に入るべき票を回したというのです。常人なら自分がぶっちぎりでトップになりたいと思うでしょうに。とはいえ、そのおかげで、大平さんに入った101票がそのまま2回目の投票で田中さんに流れたろうことは、容易に推測ができます。

田中さんは、それ以外にも緻密な計算を働かせています。たとえば表向き福田派に属する人間で、「今回は親分の福田さんに入れざるを得ません」とわざわざ田中さんのところに仁義を切りに来た人もいました。しかしさすがは田中角栄。「あんたは福田さんに入れればいいよ」と、けっして裏切り者呼ばわりはしないのです。こうなればイチコロですよね。取りあえず福田さんに票を入れはしても、総裁選のあとは田中さんに尽くそう、と考える人がいろんな派閥にいた。いえ、自民党内部だけではなく、野党の社会党にもいました。

田中さんほど「生きた金の使い方」をする人もいません。これは総理になってからの話ですが、福田派のある議員が入院したとき田中さん自ら見舞いに行きました。議員からすればそれだけでも恐縮するのに、帰りぎわにさりげなく封筒が置いてある。角さんは気前がいいというから見舞金は50万円ぐらいかな、と思って中身をたしかめると、これが500万円。さらにこのお見舞いを4回繰り返す。〆て2000万円。こうやって隠れ田中派をふやしていくのです。こういうやり方は、人間心理を知り尽くしていないとなかなか出来るものではない。ふつうの政治家とはスケールが違うのでしょう。